scene131  帰路の行方

 弱々しい雨が降り続いている。天気予報が言うには、今日はこのまま弱い雨が降り続き、止むのは深夜になるそうだ。今朝まで続いていた嵐は収まったが、いまいちすっきりしない天気だ。
 その暴風雨が収まるのを待って、トオルたちは午後から採掘作業のために山へ向かっていった。これまでも雨の中で作業をしに行くことはあったがこれほどまで天候が荒れたことはなかったので、か細いとはいえまだ雨が降っている中、作業をしに行くのを見送るのはどこか心配が晴れなかった。
(でも今日で最後、明日は定期船が来る日だもんね)
 エミは自分で言い聞かせる。この心配にも根拠はないし、この一ヶ月無事に過ごしてきたんだからきっと無事。きっと今日も服を汚してくたくたになりながら帰ってきて、いっぱい晩ご飯を食べてぐっすりと眠る。いつもと変わらないそんな夜を過ごして、明日の出発を迎える。
 トオルたちを見送ったあとにはそんなことを考えながら、エミはいつものようにキワに任された小さな菜園へと向かっていた。
「どうしたの、エミちゃん? なにか不安なことでもあるの?」
 メイリに心配そうな顔でのぞきこまれる。
「え、なんでもないですよ」
 エミが笑顔を取り繕うと、メイリはそっかと言って再び前を向いた。人から見ても分かるほどに、自分の表情に心配が表れていたのだろうか。そう考えたエミは気を取り直す。
(私がすることはトオルを待つこと。そして、トオルが帰って来る空間の雰囲気を私が重くしちゃいけない)
 今やるべきことは、キワの手伝い。畑の野菜の世話をすること。トオルのことを考えるのは帰ってからもできる。
 この畑の世話も今日で最後。初めてこの作業をしたころは慣れないことが多くて多少戸惑いもしたが、今はすっかり愛着も湧いて、なにかこの野菜たちのためにできることはないかと考えるようになっている。しかし今日の雨で水をやる必要もなく、収穫時期まで間もないところまで来ていることもあり、特にやることはない。目についた二、三の害虫を払いのけたが、元々虫の付きにくい品種を飼育していることもあってこれ以上の大きな心配はいらない。
「なんか、今日で終わりってなるとちょっとさびしいねー」
 メイリは両手で大きな伸びをする。彼女の語気はさみしさというよりも、気が抜けるというような感じだ。だがエミもその気持ちは分かるような気がした。
 気が張り詰めていたわけではないが、この島にいる間は仕事があった。真魔石探しの旅では、気は張り詰めているが宿泊先はホテルだし、食事も飲食店で済ます。日常生活において普通の人なら誰しもがやってることを、ディガップ島に来て久々にやったのだ。朝早くに起きて食事を作り、洗濯機を回し、仕事に行く人を見送って、食器を片づけ、洗濯物を干し、畑作業をする。地球にいたころ行っていた普段通りの生活の忙しさが懐かしく、しかしまた翌日から旅という非日常の日常に戻る。それがさびしい。
 二人はしばし感傷に浸る。潮騒と、小雨だというのにレインコートにはじける雨粒の音が聞こえるほど、ここは静かだ。
 唸るような大きな音がした。エミとメイリはそろって顔を上げる。雷だろうか。雷が鳴るような荒天ではない気がしたが、それでも鳴るときはなるのだろうと納得した。
「あ、もう二時なんだね、戻ろっか」
 メイリが腕時計で時刻を確認する。彼女はトレーニング目的で宅配便のようなことをし始めてから、キワに借りた腕時計をつけている。エミも時計をのぞきこむと、メイリは見やすいように腕を差し出した。

 キワ宅に戻りのんびりしているところに、その一報は入ってきた。トオルたちが作業している坑道が一部崩壊し、メンバーがなかに閉じ込められていると。デーヴィス採掘では社員十人を半分に分けてチームを組み、別々の坑道で作業をしている。どうやら坑道が崩壊したのはトオルが加わっているデーヴィスのチームのみで、片方のチームは全員無事に外に出てきている。
 先ほど聞いた雷のような大きな音は、プレイスメント工機の発破音だったらしい。
「トオルが……閉じ込められた……?」
 このまま無事に終わりを迎えるはずだったこの島での生活が、最後のひとつのピースを組み上げるのを失敗して崩れる。まだこの世界に来たばかりの頃、ユカのもとで特訓したサイコロタワーでもそうだったように。エミは忘れかけていた。自分たちが置かれているのは、異惑星へ帰るために途方もない旅を続けている状況。そんな中で、今までもそうだったように、順調などあり得ないということを。
「エミちゃん、大丈夫よ。今あの人の仕事仲間さん達が頑張ってくれてるから」
 キワの慰めはありがたいが、それで不安が全て払拭するには至らない。今度は、苦境が訪れるまでの間隔が長かった。この一ヶ月でいわゆる普通の生活というものを思い出してしまって、落差の大きさが心に堪える。
 くじけかけているエミを見やり、メイリは口を真一文字に結び、家のドアを開け放った。
「エミちゃん、行くよ!」
 その言葉でメイリの言いたいことは分かった。エミは溢れかけている涙をこらえ、乱れかけた思考を落ち着かせて、深くうなずいた。
 他の作業員の家族たちと後から来ると言うキワを残し、エミとメイリは足早にデーヴィス採掘の作業現場へと向かった。この前トオルに会うために上った山道はここまできつかっただろうか。早く現場に向かいたいという気持ちが焦るばかりで、エミが思うよりも自分のペースは速くない。
 やっとの思いで頂上へ辿り着くと、多くの作業員がひとつの坑道から出たり入ったりしている。トオルと同じ作業服を着たデーヴィス採掘の数人と、他の数十人は別々の作業服を着ている。そのうちのひとつは以前テジックが着ていたものと同じなので、おそらくプレイスメント工機の作業員だろう。
 状況から見て、あの坑道が崩落し、そしてあの奥にトオルたちが閉じ込められているだろうとすぐに想像がついた。中から土が運び出されているところを見ると、崩落した土砂を取り除く作業が行われているのだろう。エミとメイリはうなずき合うと、まっすぐにその坑道へと向かう。しかしそれに気付いた作業員が駆け寄ってきて二人を止める。
「こら、嬢ちゃんたちは出てきな!」
 この男は見覚えがある。この島に初めて来た日に開かれた宴会でデーヴィスと腕相撲をしていた、中小企業社長のバングンという男だ。この男もデーヴィスのような筋骨隆々として恰幅のいい体をしている。
「私たちも手伝います! トオルが……トオルが中に居るんです!」
「ダメだ! 嬢ちゃんたちをこんな危険な場所に居させるわけにはいかない! 昨日からの雨と衝撃で地盤がもろくなってて、いつ崩れるか分からないんだ!」
 バングンは両手で囲い込むようにして二人を下がらせる。エミとメイリは魔法石の恩恵を受けながら抵抗するも、彼の力のほうが上回っている。
「私たち魔法石を持ってるんです! だから大丈夫、力になります!」
 魔法石と口から出たときにはバングンも僅かに反応を示したが、そのメイリの訴えも結局聞き入れられず、坑道の出口まで押し返されてしまった。
「いいか、嬢ちゃんたちは外で待ってな。嬢ちゃんたちの友達もそうだし、デーヴィスのやつだって中にいる。全部ひっくるめてオレらに任せろ」
 バングンは力強くそう言い切る。彼のことを信頼しないわけじゃないし、自分が手伝いに入ったところでたいして戦力にならないだろうということもエミは理解している。しかし理屈じゃなく、自分も一緒に動いていないと気が済まないのだ。
(こんなときにどうして、私はトオルのために頑張れないの――?)
 いつも助けてもらっているのに、逆の立場になると何もできない。ただ待っているだけでは、駄目。これが現実であり、自分の実力だ。助けに行くことさえ、戦力外。一体今、トオルはどうなっているのだろうか、どんな思いで救助を待っているのだろうか。想像するほどに胸に鉛が溜まっていくような感覚。
(それでも、私は――)
 何を言われようと、どうなっても構わない。この場にはいられない。バングンの手を振り払って坑道へ強行しようと決意したその時だった。

「おぉーい! もう大丈夫だぁー!」
 坑道の入り口がある崖の上、そこに七つの人影が現れた。
「他のやつらは全員無事かぁー!?」
 野太い声で叫んでいたのはデーヴィスだ。隣にはマスマティ、サンドス、ノード、ジョージ、テジック、そしてトオルもいる。皆それぞれ安堵の表情を浮かべており、一見して大きなけがをした者もいなさそうだ。
 それからデーヴィスたちは一度崖の奥のほうへ引っこみ、皆が集まる台地へと降りてくる。周りは口々に奇跡の生還などと騒いでいる。
 トオルは周りの人間と無事を喜び合う中で、その先にエミとメイリがいるのを見つけた。作業員たちとの感動もそこそこにその輪を抜けると、トオルは小走りに二人のもとへと駆け寄る。
「よ、来てたんだな」
 トオルは軽い口調で声をかける。窮地を脱して気分が高揚していることもあるが、二人に余計な心配をかけさせないためにもと思っていると、少し雰囲気の軽すぎる感じになってしまったとも思えた。
「なんだ、思ったよりも元気じゃんー」
 メイリはため息をつきつつ気怠そうな表情を浮かべる。それが鬱陶しさではなく安堵から来るものだという説明はわざわざすることではない。
「そりゃあな、この通りぴんぴんしてるぜ! 今すぐ百メートル走してもメイリに勝てるくらいにな」
「あー言ったねトオル言っちゃったね、脚の速さで私に勝てるとでも思ってんのー?」
 二人はいつものように掛け合いを始める。だがその横では、エミが少しうつむいたまま表情を崩すことはない。その空気に、トオルとメイリはそこから先へと会話を踏み出すことができなかった。
「エミ――?」
 トオルは静かに呼び掛ける。だがエミに反応は見られない。
「エミちゃんはね、トオルのことすごく心配してたよ」
 メイリの言葉が耳に入る。ふと何日か前のことを思い出す。わざわざエミとメイリが、仕事終わりにこの場所まで迎えに来ていたこと。その心配は、理解できる。常に危険と隣り合わせで、実際このような事故も起きた。最悪二度と帰ってこれないなんてこともあり得た。これまでの旅の行程でもあったし、トオル自身は数年前にも経験したことあがある。そんなとき、いなくなったあの人がこう言いながら帰ってきたなら、どれだけ嬉しいだろうか。そういえばキワさんちへ帰った時も、この間も、仕事の疲れとかであまりちゃんとこの言葉を言えてなかった気がする。
(こういう時こそ、ちゃんと言わないとな――)
「エミ、――――ただいま」
 エミはその言葉を聞くと顔を上げる。そしてようやく張り詰めた糸がほぐれるように、顔をほころばせて口を開いた。
「おかえり、トオル――」

 一夜明け、トオルたちは定期船に乗ってディガップ島を離れた。雲ひとつない穏やかな晴天が、海面をダイヤモンドをちりばめたかのように輝かせる。船にはトオルたちのほかに、デーヴィスとキワが見送りとして乗り込み、テジックも同乗している。マスマティたちとはディガップ島の港で別れた。
 船がのんびりとパフの港に向かっている間に、昨日のことの顛末がトオルの口から語られる。
 ドリルで掘り進めていた穴から水が流れ込み、諦めムードが漂っていた中、ノードはひとつの情報を思い出した。穴を掘り進めた先は、窪地になっているとのことだ。そこにサンドスが、掘り進めていた穴の先のほうは水を通しにくい土だと言う情報を付け加える。そこへ、昨晩から続く暴風と大雨。そこから出した結論は、この水はその窪地に溜まった雨水だということだった。それに行きついた丁度そのころ、流入する水の流れが極端に減った。窪地に溜まっていた雨水がほとんど流れたおかげで、容易に脱出できたという。
 そしてトオルらと一緒に事故に巻き込まれた、事故を引き起こした側の人間であるテジックは、今回のことで会社に対しての不満が爆発したようだ。常に現場と本社の間をとりなしながら、スケジュール調整などをこなす中間管理職の立場である彼は、自分が本部に戻る前に発破したことと、このタイミングでの発破を強制した本社の両方にクレームを入れた。
「もう信じられないと思いません!? 現場監督は“時間になったから発破した”で、本社は本社で事故のこと伝えたら、“死人が出てないなら予定通り作業を進めろ”だよ。あり得ないと思いません?」
 テジックは行きの船のときとは雰囲気ががらりと変わっていた。言いまわしはあまり変わっていないが、話し方や姿勢が崩れていて、あの時の真摯な雰囲気は薄れ、今はどこにでもいる愚痴をこぼす会社員そのままだ。こちらのほうが彼の素なのかもしれない。
「今回のことは僕の意識を大きく変えました。会社とは徹底的に戦います。辞めることになっても構わないし、むしろそうなったほうがいいような気もする。デーヴィスさん、トオルくん、本当にありがとうございます」  テジックは二人の目をじっと見つめて真剣な表情で礼を述べる。職務中に人と対する時の顔とは打って変わって、営業色のない、心の底から意志を持った真摯な目をしている。
「ははははは! まぁいいってことよ! それにお前、今いい顔してるじゃぁねぇか。わしもその戦いとやらに力を貸してやる。助けが欲しいときはいつでも言ってきなぁ!」
 デーヴィスは拳で胸を叩く。巨大な落石をも軽々受け止めてしまいそうなほど、その姿はたくましく見える。この二人の間にあった溝はいつの間にか埋まっていたようだ。――というよりも、テジックがその溝を飛び越えてデーヴィス側に寄って来たというほうが正しいのかもしれない。

 定期船がパフの港に到着しようとしている時、トオルたちは港にある人物の影を発見する。
「あっ……、あれって……」
「――お店のおばさん……」
 三人がこの街に訪れ一番初めに入った店にいた、杖をついた初老の女性だ。トオルたちは単に道を尋ねようとしだけだったが誤解を与えてしまい、結果パフの街中から冷たい目で見られることになった。トオルはあからさまに苦い表情を浮かべる。他の二人は表情には出さないが、内心はあまり快くは思っていないだろう。それはメイリが思わずこぼした、うわぁという嘆息からも読み取れる。
 船が接岸するころには彼女もトオルたちが乗っていることに気づいたようだ。その女性は明らかな嫌悪のまなざしをこちらへと向けながら、桟橋の出口で降りてくるのを待ち構えている。この街の人間からは、トオルたちは大手にかかわりのある人間だと誤解されていることをすっかり失念していた。
「お、俺いやだなぁ……。メイリ先行けよ」
「はっ、なに? つい昨日あんな目に遭っておきながら、この程度で怖気づいてるわけ?」
「なっ、そ、そんなこと言ってメイリだって行こうとしてねぇじゃん!」
「こ、ここは男が先に行くもんでしょ!」
 トオルとメイリが押し問答している間に、それならもう自分から行ってしまおうとエミが足を踏み出そうとしたとき、キワが横を通り抜ける。
「あら、二人ともだめよ喧嘩は」
 キワはほほえましいものを見るような顔で、そのまま二人を通り過ぎていってしまった。キワの家に世話になっていた一ヶ月の間も同じような二人の掛け合いは何度もあったため、彼女はこの光景にすっかり慣れ、今回のパターンでは本気の喧嘩に発展しないことを察知できたのだ。
 そしてその通り、彼女の一言がきっかけで二人の掛け合いは止む。ここでいつまでもぐずぐずしていたって仕方がない。どの道この船を降りて桟橋を歩かなければこの町から出ることはできない。そしてトオルたちはキワの後について行くように船を降りる。
 結局トオルが、三人の中での先頭になった。キワが前を歩いてはいるもののやはり気が重い。また追いかけ回され、街中から無視されるのか。ディガップ島と違って港町のパフには特別思い入れもないし、そのような扱いをされるのは構わないのだが、だからと言って決して気分がいいものではない。
「お姉ちゃん、脚の調子はどう?」
 突然その言葉を発したのはキワだ。彼女の前にはあの商店の女性。ならばキワはこの女性に声をかけたに違いない。しかし今なんと言って呼びかけたのだろうか。お姉ちゃんと呼んだ気がしたが、彼女の名前を聞き間違えただけなのかもしれない。しかし彼女ら二人はとても親しげに話しているように見えた。
「久しぶりだね、キワ。脚はまあずっと変わらないよ」
「あら、悪くなってないならよかった」
「そんなことは今はいいんだよ、それより後ろのあんたら! 街からでてけと言ったはずだ! なんで島からの船に乗ってくるんだ!」
 彼女の矛先がついにトオルたちに向けられる。いつ来るかと身構えていたトオルたちは逃げる態勢が出来上がっている。今回も追いかけ回されるかもしれないし、あの杖でばしばしと叩かれたりはしたくない。だがそのような展開を想定する必要はなかった。
「あら、お姉ちゃん、なんでそんなこと言うの? トオルくんたちはわたしたちのお客さんよ」
 今度は間違いない、キワはこの女性のことをお姉ちゃんと呼んだ。
「紹介するわね、この人は、私の姉でイワ。そこの商店街でお店をやってるの」
 そしてキワは、イワにトオルたちのことを紹介し坑道崩壊事故の顛末を話している。
 トオルたちは狐につままれたような感がしてたまらない。街から追い出そうとしたイワの妹が、帰れなくなった自分たちを保護してくれたキワだなんて。しかしこの程度の偶然なんてよくあることだ。でなければこんな遠い星で、地球出身の者同士が出会い、帰還しようと手を取り合うなんてそれこそ天文学的な確率となるだろう。
 そしてこの偶然は、不安だった者同士が二人三脚で前に進むために必要な、お互いの足を縛る紐なのかもしれない。同じように前を向き、歩調を合わせ、確実に歩んでいく。一人では乱れがちな足元、道筋も、パートナーが指摘してくれる。大きく道を逸れることも減るだろうし、過ちを正す機会も増やすことができる。
「わ、悪かったね。追い回してさ――」
 イワは気まずそうにトオルたちへ謝罪する。キワの説明を聞いて誤解が解けたようだ。精神的にも肉体的にも、イワにとっての二人三脚のパートナーはキワなのだろう。

「じゃぁなぁ、トオル。達者で暮らせよぉ」
「エミちゃん、メイリちゃん、体に気をつけてね」
「僕も戦うから、君たちも頑張りなよ」
「みんな、ありがとうございました!」
 出発した列車の窓から見えるデーヴィス、キワ、テジックの姿は次第に小さくなっていく。訪れた当初に感じた空虚感は、身勝手な開発を行う大手企業に対する人々の冷たい怒りの姿なのかもしれないと、パフの街を見て今は思う。しかしディガップ島の人々は温かかった。坑道の作業員の大半はパフの街の人間で、わざと怒りをパフに置いてきてよそ者を寄せ付けないようにし、その代わり島のほうで明るく暮らしているようにも感じる。内側に向いた感情だけで回っているパフとディガップ島は、それだけでもうまくやっていけるようだ。それが正しいかどうか分からない。
 しかし内側だけで動き回るのはもったいなくも感じる。テジックのように、大手の人間だって輪の中に入れる者もいるし、キワのように外側から招いてくれる人もいる。それが力を合わせてこの事故から生還を果たすこともできた。
(これ以上何も起きないで、何もかもうまくいくといいな)
 パフの街の郊外にある畑を車窓から眺めながら、トオルはディガップ島の行き先を案じる。先月の大会の時もそうだ。アシアスとクレアの仲も、この先何事もなければ悪くなることはないだろうし、いずれはアシアスの父ガラウも共に暮らすこともできるようになるだろう。
(何事もなければそれがいい。誰も死ななければ――)
 対面の座席ではエミとメイリが他愛もないおしゃべりをしているが、先日の疲れが抜けていないのか、トオルは自然と眠りの底へと沈んでいった。

 夕刻になり、陽の色も徐々に赤みがかり始めた。ディガップ島へ向かう定期船の最終便でデーヴィスたちは再入島する。入れ替わりに物資を配達に来た車が船に乗り込む。
「お疲れさん、今日はどんな酒が入った?」
「ははははは、デーヴィスはいつもそれしか訊かないな。いつもと一緒だが、量はちょっと増えたぞ」
「そりゃぁ楽しみだ」
 運送車の運転手と親しげに談笑するデーヴィス。それをキワとテジックはほほえましく眺める。
「キワさん。デーヴィスさんを僕の戦いに巻き込んでしまうかもしれませんが、先に謝っておきます」
 テジックの言う戦いとは、トオルたちとパフに向かっていたときに話していた、会社への抗議のことだ。今回の事故の原因と上層部の対応についてはプレイスメント工機内でも意見が分かれており、ことが大きくなりそうだからだ。そんなところに被害者の一人であるデーヴィスが自ら力を貸すと言ったのだから、事態は穏便には済まないだろう。
 しかしキワは柔和な笑顔を浮かべる。テジックにとってそれは予想外の表情だった。
「あら、いいのよ。あの人の決めたことなら、わたしはそれを支えるだけ」
 キワはそれだけを口に出す。テジックはキワの考えていることがよくわからなかった。しかし、これだけは確かに感じ取った。
(デーヴィスさんとキワさんなら、きっと大丈夫だ――)
 定期船は甲高い汽笛を響かせ、まもなく離岸する。デーヴィスと運転手は手を挙げて一ヶ月後の再会を楽しみに、別れのあいさつをする。
 まさにその時だった。
 とてつもない轟音が島中に響くとともに地面が小刻みに縦に揺すられる。巨大な岩がトンネル中を転がり落ちるような、雷を連想させる低い唸るような音は体の中心にまで響く。それらはほんの数秒の出来事だったが、デーヴィスたちはその正体がすぐに分かった。つい昨日、これと全く同じ現象を体験している。
「発破かぁ!」
 しかし今度は昨日のそれよりもはるかに大きい。坑道全体が山に押しつぶされてもおかしくないほどだ。
「テジック、お前んとこのお偉いさんは昨日の今日で発破しろとでも言ったのかぁ!?」
「いや、それはありません! うちは昨日の件で五日間操業を停止してますから」
「だとしたら、ベーリックのとこか……?」
 ディガップ島で採掘作業をしている大手のうち、プレイスメント工機じゃないもう一方、ベーリック・ジュエリー社。この島にあるどの会社よりも社内統制が厳しく、他社の作業員同士が対面することもほとんどない。唯一、全社が共通して通る登山道で見かけることがあるくらいで、そこでも挨拶なども一切しない。
「あの会社は得体が知れねぇからなぁ」
「僕もよく知りません。何度訪問しても門前払いですから」
 なにかよくわからないことがあれば、ベーリック社のしわざ。この島の、ベーリック社を除く全員の認識だ。
 発破音の後は何も起こらない。単なる発破だったのかどうかは分からない。ただベーリック社は、決して部外者に対して迷惑をかけてくることもなかった。ディガップ島に暮らす者は誰しもがそれを納得して、今回の発破音もそれ以上気にすることはなかった。
 デーヴィスたちの日常に変化はない。この日一番の出来事は、中小企業同士の宴会にテジックが加わること。間もなく始まる宴に胸躍らせ、デーヴィスはテジックとキワを引き連れて集会所へと向かうのだった。

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