第10部(最終話)

一昨日のヤクルト戦から昨日の移動日を挟んで、甲子園に乗り込んできた巨人ナイン。3連戦3連投で2勝1Sの絹ヶ谷もベンチ入りした。絹ヶ谷はベンチに居る高木の姿も確認した。見る限り右膝の怪我を感じさせない振る舞いだ。この間、高木や田中と会った出来事は、お互いコーチなどには知られていないよう願っている。

午後6時に始まった試合は、2回を終え、1-0と阪神がリード。巨人が追う展開となった。試合は進み、5回に先発の木佐貫が打球を足に当てて降板するというアクシデントが起きた。ここで原監督は交代を告げた。
《読売ジャイアンツ、ピッチャーの交代をお知らせ致します。ピッチャー木佐貫に代わりまして絹ヶ谷、背番号45。》
(早速俺の番か…。)
絹ヶ谷はゆっくりとマウンドに上がった。
《ピッチャーの絹ヶ谷、今日の試合で4戦連続登板となります。前の3戦の結果はなんと2勝1S!全ての試合で活躍しています。しかし流石に疲れの方も気になります。》
絹ヶ谷の今シーズンの成績9勝3敗3Sの内、2勝1Sが一昨日までの3連戦に集中している。絹ヶ谷は勿論疲れていた。
(しかし、ここで期待に応えられないようではプロではない!)
絹ヶ谷は自分にそう言い聞かせ、必死に投げた。絹ヶ谷はそれなりにいい投球をし、危なげなく8回迄投げた。そしてついに阪神ベンチも動き出した。3-1で巨人がリードしている9回裏の阪神の攻撃、打順は6番片岡から。この回も絹ヶ谷はマウンドに上がった。絹ヶ谷の投げた初球、片岡の振り抜いたバットは正確に絹ヶ谷の球を捕らえられた。
(!!)
《片岡打ったぁー!右中間を深く破ったぁ!片岡、ツーベースヒット。》
絹ヶ谷はあっさり得点圏にランナーを置いてしまった。
(しまった、2点リードの最終回、気を抜いて投げてしまった。)
阪神ベンチでは高木と今岡が、何処か心配そうな面持ちでマウンドを見つめていた。7番打者の矢野が打席についた。2-1と追い込んだ4球目、外角に投げたシュートが真ん中に入ってしまった。
『カーン!』
乾いた打球音の後、矢野の打球はショートの頭上を一気に低い弾道で飛んでいった。誰もが左中間に抜けたと思ったその時、ショートの二岡が大ジャンプ。見事打球をキャッチした。二岡はそのままセカンドに送球し片岡は戻れずにアウト、ダブルプレーが成立した。
「二岡さん、どうもっす!」
「前も言ったろ!礼には及ばねぇって!」
二岡のファインプレーでアウトを二つ取った絹ヶ谷は、8番藤本を迎えた。アウトを取った絹ヶ谷は気が抜けたのか藤本に四球を与え塁に出してしまった。迎える9番ピッチャー金澤には代打が出た。
《バッター金澤に代わりまして、代打八木、背番号3。》
阪神スタンドからは盛大な八木コールが巻き起こった。絹ヶ谷はそれを気にせず、八木に向かって初球を投げた。カウントは1ストライクとなったが、その間に藤本に盗塁されて2アウトランナー2塁となってしまった。
(村田さん、どうしますか?)
(ランナーは捨てていい。それより八木さんを絶対に抑えよう。)
絹ヶ谷は2球目を投げた。そのストレートはインコースから真ん中よりに入ってきた。
『カァァーーンン!!』
八木はその球を思い切り叩いた。その瞬間澄んだ綺麗な音が球場に響き渡った。空高く上がった白球は、歓声の上がる甲子園球場の左翼席に吸い込まれて行った。
《八木!八木!同点ツーランホームラァァーーン!!》
阪神は土壇場で同点に追いついた。甲子園球場からは歓声が沸きあがり、阪神ベンチもにわかに騒いだ。これで巨人は3-3と同点に追いつかれた。先頭に戻り今岡の打席だが、今岡をセカンドゴロに抑え延長戦に突入した。

延長10回の表、阪神の投手はウィリアムスが入った。そのウィリアムスは簡単にツーアウトを取って見せた。そして打席には…。
《9番、ピッチャー、絹ヶ谷。》
絹ヶ谷は今シーズン、打率3割5分5厘、2本塁打、16打点をあげている。この成績を見ての通り、打撃センスの高さも見せ付けている。本塁打はピッチャーの中ではトップだ。そしてウィリアムスの投げた第4球目だった。
(負けるか!)
『カーーン!』
乾いた音がした。高々と上がった球は左翼席の最前列に落ちた。
《絹ヶ谷選手、今シーズン第3号のホームランです。》
静まり返る甲子園球場。ウグイス嬢の声が2割程度の巨人ファンの歓声と混じり合う。絹ヶ谷はダイヤモンドを一周してホームに還って来た。巨人ナインは選手総出で絹ヶ谷をお出迎え。
「ようやった!絹ヶ谷!」
「ナイスバッティング!」

『カァーン!』
延長10回裏、赤星の打球がセンターへ抜けた。ノーアウト1塁でランナー赤星、バッター金本。阪神にとって同点にする絶好のチャンスが訪れた。打席に入る金本、塁から離れる赤星。絹ヶ谷が投げた初球を金本は見送った。赤星がスタートしている。キャッチャー村田が懸命に2塁へ送球する。完璧なスタートをした赤星をアウトに出来るわけが無かった。ノーアウト2塁外野はやや前に出る。金本は絹ヶ谷の初球を叩いた。
『パァーンン!!』
センターの前に打球は落ちる、赤星は3塁ストップ。ここで4番桧山を迎えたところで村田が絹ヶ谷のもとへ行った。
「いいか、絹ヶ谷。次の桧山さんには徹底して外角攻めで行く。」
「分かりました。」
絹ヶ谷、村田バッテリーは徹底して外側を攻めた。そしてカウントは2-3。絹ヶ谷は目一杯力を込めて外角に放った。
『ズバーン!』
151km/h、きわどいところ。審判は手を上げてくれなかった。
《さぁ絹ヶ谷、ヒットと四球でノーアウト満塁の大ピンチを迎えました。》
ここになり、巨人ベンチが動き始めた。斎藤コーチがグラウンドに出てきた。しかし原監督は動いていない。
「絹ヶ谷、監督はこう言った。『お前が勝ちをもぎ取れ。』とな。」
「はい、分かりました。」
斎藤コーチが帰っていく時、絹ヶ谷は阪神側の動きに気付いた。打席には5番アリアスが居る。そしてネクストバッターズサークルに高木の姿が現れた。
(やはり、ここ一番では高木さんか。)
絹ヶ谷はそんなことも考えながら、ホームラン狙いで大振りしているアリアスをセカンドフライに打ち取った。
《6番サード片岡に代わりまして、代打高木、背番号23。》
高木は打席に向かった。その足取りはゆっくりと重く、どこか険しい道を更に険しい方へ歩いているようだった。打席に入った高木は早くも汗をかき始めていた。
(この場面で高木さんが代打…。高木さんは首脳陣に怪我のことを言ってないのか…。満身創痍のこの人に、本気で投げていいのだろうか…。)
絹ヶ谷の精神はこの回のいろいろな出来事で、もはやぐらぐらだった。絹ヶ谷は村田のミットへ目掛け思い切り投げた。
『ズバアァァーーン!!』
外角ストレート、156km/h。高木は見逃した。ストライクだ。村田からの球を受け、プレートの砂を足で避け、村田のサインをじっと見つめた。サインも見ながら、高木の様子もうかがっていた。セットポジションに入り、足を上げた瞬間だった。高木の表情が明らかに変化した。一転、凄く苦しそうな顔だ。
『ピシュッ!』
球は投じられた。高木の顔を見て絹ヶ谷は制球を誤った。その球はインコースへ向かっていた。そして大きく曲がり始めた。シュートだった。曲がり始めた球は高木のほうへ向かっていった。それに気付いた高木は必死に左足を避けた。右足は・・動かなかった。激痛で動かせなかった。
「!!!」
「!!!」
『グヮッシッッッッ!!!!!!』
「…………………!!!!!!!!」
絹ヶ谷のシュートは、高木の右ひざの間接真ん中に強烈な鈍い音と共に当たった。当たった球は高木の足元にポトリと落ちた。
高木は何も聞こえなかった。強烈な激痛の瞬間、直後に意識を失った。高木が意識不明になった直後、絹ヶ谷も疲労と激しい興奮、ストレスと激しいショックを受けて、その場で失神した。

(……?)
「あ、絹ヶ谷君、目が覚めたかな?」
「…香坂さん…?…ここは…?」
「ここは病院だよ。」
「…病院…。」
絹ヶ谷は病院で目を覚ました。個室だ。その部屋に広報部の香坂さんもいた。
「あ、試合…いえ!高木さんはどうなりましたか!?右ひざにデッドボールを…!」
一瞬香坂さんは表情を暗くしたがこう答えた。
「…、大丈夫だよ。彼も病院に行ったけど軽い打撲で済んだって。」
「…良かった…。」
絹ヶ谷は心から安心した。怪我している右ひざにデッドボールを当てた。それがたまらなく自分にも辛かった。打撲、軽い怪我で済んだから…。
「あ、試合のほうは残念だけど、君の押し出しで同点になった後、サヨナラ負けを喫してしまったよ。」
絹ヶ谷は試合のことはどうでも良かった。高木が無事であったことに喜んだ。またちゃんとした対戦が出来ることに喜んだ。

だが事実は違った。絹ヶ谷は軽い診察を受け、数時間後に退院した。広報の香坂さんと別れたあと、着信履歴から高木の携帯に連絡を入れた。電話に出た弘美夫人から実状を聞いた。右ひざが重症なこと、未だ意識不明なこと、そして、野球が出来なくなったこと…、日常生活に支障をきたすこと…。弘美夫人は絹ヶ谷を責めなかった。夫と共にこれから応援すると言った。絹ヶ谷は頭が真っ白になった。自分はこんなに元気なのに、自分の球で、相手に生活に支障をきたすまでにしたこと。一通り話が終わってから電話を切ったが、何も頭には入ってなかった。どうやって自分の家に帰ったかも分からない。翌日、絹ヶ谷は試合に赴くのを忘れた…。

3日後、阪神今岡、高木、横浜田中と密会したことが首脳陣にばれた。どうやら酒場に巨人ファンが居たらしい。余計なことに、数時間野球の話をしていたということも付けて。試合に来ることも忘れた上に、密会疑惑、昨日の1イニング7失点。絹ヶ谷は四面楚歌に陥った。もうどうすることも出来なかった。読売ジャイアンツは、このシーズン限りで絹ヶ谷の解雇を決定した。その後絹ヶ谷は投球恐怖症に陥った。ストライクゾーンに球が投げられないどころか、最高球速も142km/hに落ちた。この年、どの球団も阪神を捕らえられず、阪神タイガースが18年ぶりの優勝を決めた。

翌シーズン、打者転向し千葉ロッテマリーンズに移籍。しかしインコースの球をすぐ避けるという癖がついてしまい、ファームで打率1割以下という成績を残してしまった。2004年シーズン途中、千葉ロッテからも解雇された。何処からも欲しいという声は、とうとう上がらなかった。それを最後に、絹ヶ谷はプロ野球界から姿を消した。

「もっと腰を落として!送球は素早く丁寧に!」
ここはとある中学校。この日の授業も終わり、部活動の時間だ。この広いグラウンドでは、野球部の練習が行われている。
「バッティングはちゃんと脇をしめて!」
この野球部に檄を飛ばしている顧問の先生が居る。その人こそ絹ヶ谷明彦だった。あれから9年。30歳になった絹ヶ谷は中学生、いや、将来のプロ野球選手を育てている。
「今から軽く紅白戦をやるぞ。まず紅軍のピッチャー、高木朋和!」
「はい!」
紅軍の先発に指名された中学3年生の高木朋和。絹ヶ谷が一番熱心に育てた部員だ。その甲斐あって、野球強豪高校のスカウトが幾度か練習を見に来ている。もはや大阪でナンバーワン中学生投手だろう。絹ヶ谷はこの選手を育て上げるのに、全てをつぎ込んだ。この投手だけじゃない、ここに居る部員全てが高いレベルの能力を持っている。

ここまでしたのは9年前の罪滅ぼし。高木朋和は、自分が現役時代、デッドーボールで再起不能にしてしまった高木智選手の息子。あの事故以来、絹ヶ谷は自分の求める場所を探した。そして高木の息子に行き着いた。この子をプロに育てるために、大阪に引越し、教員免許を取り、この学校の校長に頭を下げた。そこまでした。絹ヶ谷は、高木朋和を高校に送り出して、やっと罪が洗い流せる気がしていた。

(あと1年…。朋和君が卒業できたら、俺の罪悪感も洗い流せるかもしれない…。)
絹ヶ谷の投球恐怖症も、同時に完治に向かっている…。

絹ヶ谷明彦通算成績
実働年数4年、139試合、32勝、14敗、13S、4H、防御率3.07、打率2割8分0厘5毛、5本、39打点

~終わり~

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