第10部(最終話)

いよいよ8月も近づいてきた。この時期になるとバテる選手が出てくる。しかし高木は全くそんなことは無かった。2軍の炎天下での練習で鍛えられた肉体は、暑さには強かったのだ。試合前、高木は他の選手がバテ気味の中黙々とランニングをこなした。この日の試合は甲子園での対巨人戦。高木はベンチスタートだった。

日も暮れてきて、試合が始まった。2回を終え1-0と巨人をリード、なかなか良い感じの出だしだ。巨人ベンチには絹ヶ谷の姿もあった。この間、絹ヶ谷や田中と会った出来事は、お互いコーチなどには知られていないよう願っている。
試合は進み、5回に先発の木佐貫が打球を足に当てて降板するというアクシデントが起きた。ここで原監督は交代を告げた。
《読売ジャイアンツ、ピッチャーの交代をお知らせ致します。ピッチャー木佐貫に代わりまして絹ヶ谷、背番号45。》
ピッチャーには絹ヶ谷が出てきた。
《ピッチャーの絹ヶ谷、今日の試合で4戦連続登板となります。前の3戦の結果はなんと2勝1S!全ての試合で活躍しています。しかし流石に疲れの方も気になります。》
絹ヶ谷の今シーズンの成績9勝3敗3Sの内、2勝1Sが一昨日までの3連戦に集中している。絹ヶ谷は勿論疲れていた。
(しかし、ここで期待に応えられないようではプロではない!)
絹ヶ谷は自分にそう言い聞かせ、必死に投げた。絹ヶ谷はそれなりにいい投球をし、危なげなく8回迄投げた。そしてついに阪神ベンチも動き出した。3-1で巨人がリードしている9回裏の阪神の攻撃、打順は6番片岡から。この回も絹ヶ谷はマウンドに上がった。絹ヶ谷の投げた初球、片岡の振り抜いたバットは正確に絹ヶ谷の球を捕らえていた。
《片岡打ったぁー!右中間を深く破ったぁ!片岡、ツーベースヒット。》
絹ヶ谷はあっさり得点圏にランナーを置いてしまった。
(絹ヶ谷の奴、やっぱり4連投はきついわな・・。)
ベンチでは高木と今岡が、何処か心配そうな面持ちでマウンドを見つめていた。7番打者の矢野が打席についた。2-1と追い込んだ4球目、絹ヶ谷の外角に投げたシュートが真ん中に入ってきた。
『カーン!』
乾いた打球音の後、矢野の打球はショートの頭上を一気に低い弾道で飛んでいった。誰もが左中間に抜けたと思ったその時、ショートの二岡が大ジャンプ。見事打球をキャッチした。二岡はそのままセカンドに送球し片岡は戻れずにアウト、ダブルプレーが成立した。二岡のファインプレーでアウトを二つ取った絹ヶ谷は、8番藤本を迎えた。アウトを取った絹ヶ谷は気が抜けたのか藤本に四球を与え塁に出してしまった。迎える9番ピッチャー金澤には代打が出た。
《バッター金澤に代わりまして、代打八木、背番号3。》
『うおぉーー!!八木ぃ!!』
スタンドからは八木コールが起こっている。絹ヶ谷にしてみればここは絶対に抑えたい。高木にしてみればここは是非繋げてもらいたい。絹ヶ谷は初球を放った。その間に藤本は盗塁を成功させ2死2塁となった。しかし巨人バッテリーは走者を捨ててきている。絹ヶ谷は2球目を投げた。そのストレートはインコースから真ん中よりに入ってきた。
(来たっ!)
『カァァーーンン!!』
八木はその球を思い切り叩いた。その瞬間澄んだ綺麗な音が球場に響き渡った。空高く上がった白球は、歓声の上がる甲子園球場の左翼席に吸い込まれて行った。
《八木!八木!同点ツーランホームラァァーーン!!》
阪神は土壇場で同点に追いついた。甲子園球場からは歓声が沸きあがり、阪神ベンチもにわかに騒いだ。これで阪神は3-3と同点に追いついた。先頭に戻り今岡の打席だが、今岡はセカンドゴロに倒れ延長戦に突入した。延長10回の表、投手はウィリアムスが入った。そのウィリアムスは簡単にツーアウトを取って見せた。そして打席には・・。
《9番ピッチャー絹ヶ谷。》
絹ヶ谷は打撃センスも侮れなかった。今シーズンは3割5分5厘、2本、16打点をあげている。本塁打はピッチャーの中ではトップだ。それはウィリアムスの投げた第4球目だった。
『カーーン!』
乾いた音がした。高々と上がった球は左翼席の最前列に落ちた。
《絹ヶ谷選手、今シーズン第3号のホームランです。》
静まり返る甲子園球場。ウグイス嬢の声が2割程度の巨人ファンの歓声と混じり合う。絹ヶ谷はダイヤモンドを一周してホームに還って来た。無情にも巨人側のスコアボードに1の数字が点灯する。

「何でピッチャーに打たれるんや!!」
阪神のベンチ奥に星野監督の言葉が轟いた。次打者を打ちとりベンチに戻ってきたウィリアムスが対象だった。通訳が慌ただしく対応している。その中、2番赤星、3番金本は打席に向けて準備をしていた。たまには見る光景ではあるが、高木は今岡に複雑な表情で話しかけた。
「なあ誠、ウィリアムス、気に病まなければいいんやけどな・・。俺も何か悔しい気分になるわ。」
「?」
今岡には訳が分からなかった。高木ははたから見ても普段は明るく、落ち込んでいる奴は元気付ける奴だった。その高木が『自分も悔しい』と弱々しく発言したのだ。それには絹ヶ谷に打たれたというのもあるのだろうが、どうもそれとはやや違った感じがした。
「智、お前まで落ち込まんでもええんやから、それにお前の出番がありそうな試合にテンション低くてどないすねん!」
「せやな。・・気ぃ持たんといかんな・・。」
(ここまで智が弱気になるなんてな・・。まさか足の怪我の具合が思わしく無いんやろか・・。)
今岡の予想通りだった。高木はここ最近ランニングのとき右足に激痛がはしるようになっていた。この暑さの中黙々とランニングをこなしていたのも、痛みに耐えていて暑さどころじゃないからだった。この1年、急成長を遂げた高木の身体は、その能力と引き換えに足に大きな爆弾を抱えてしまった。

全てはあの春季キャンプ中の出来事だった。2月4日、右足の太ももに張りが出た。その時は1時間程度で張りが引いたため、殆ど気にしなかった。しかしキャンプ中1ヶ月間に起こった張りの回数は4回、オープン戦中も3回起こしている。シーズンに突入してからは張りと共に膝も痛めた。
「どうですか?前田コーチ。」
「全体的には問題ない。あとは少し足を休めれば大丈夫だぞ。」
「そうですか、ありがとうございます。」
高木はそれから2日間、足を使うトレーニングを控えた。しかし足りなかった。そのツケがここに来て出てしまったのだ。

『カァーン!』
赤星の打球がセンターへ抜けた。無死1塁でランナー赤星、バッター金本。阪神にとって同点にする絶好のチャンスが訪れた。打席に入る金本、塁から離れる赤星。絹ヶ谷が投げた球を金本は見送った。赤星がスタートしている。キャッチャー村田が懸命に2塁へ送球する。完璧なスタートをした赤星をアウトに出来るわけが無かった。無死2塁外野はやや前に出る。金本は絹ヶ谷の初球を叩いた。
『パァーンン!!』
センターの前に打球は落ちる、赤星は3塁ストップ。ここで4番桧山を迎えたところで村田が絹ヶ谷のもとへ行った。
「いいか、絹ヶ谷。次の桧山さんには徹底して外角攻めで行く。」
「分かりました。」
絹ヶ谷、村田バッテリーは徹底して外側を攻めた。そしてカウントは2-3。絹ヶ谷は目一杯力を込めて外角に放った。
『ズバーン!』
151km/h、きわどいところ。審判は手を上げてくれなかった。
《さぁ絹ヶ谷、ヒットと四球でノーアウト満塁の大ピンチを迎えました。》
ここになり、巨人ベンチが動き始めた。斎藤コーチがグラウンドに出てきた。しかし原監督は動いていない。

「絹ヶ谷、代えられるんかな。智はどう思う?」
「代えんで欲しい。俺はあいつと対戦せなあかんような気がする。」
「智・・?」
(何か今日の智はおかしい・・。)
高木と今岡がマウンドに注目していると、声が聞こえた。
「高木、アリアスの次、片岡のところ準備しとけや。」
星野監督の声だった。
「はい。」

アリアスは1発を狙ったのか大振りを繰り返し、セカンドフライに倒れ、1死満塁となった。
《6番サード片岡に代わりまして、代打高木、背番号23。》
高木は打席に向かった。その足取りはゆっくりと重く、どこか険しい道を更に険しい方へ歩いているようだった。打席に入った高木は早くも汗をかき始めていた。
(この場面で高木さんが代打・・。高木さんは首脳陣に怪我のことを言ってないのか・・。満身創痍のこの人に、本気で投げていいのだろうか・・。)
絹ヶ谷の精神はこの回のいろいろな出来事でもはやぐらぐらだった。絹ヶ谷は村田のミットへ目掛け思い切り投げた。
『ズバアァァーーン!!』
外角ストレート、156km/h。高木は目では追いついた。振ろうとはしなかった。だが、振っていたら確実に空振りだろう。
『ピシャァァァーーーン!!』
高木の右足に雷が落ちたような衝撃が来た。その瞬間高木は苦痛に顔を歪めた。全神経は右足に集中した。顔はマウンドに向いていた。球も見ていた。だが実際は右足が見えていた。苦痛にゆがんだ顔は、投球動作を始めていた絹ヶ谷にも見えた。
『ピシュッ!』
球は投じられた。高木の顔を見て絹ヶ谷は制球を誤った。その球はインコースへ向かっていた。そして大きく曲がり始めた。シュートだった。曲がり始めた球は高木のほうへ向かっていった。それに気付いた高木は必死に左足を避けた。右足は・・動かなかった。激痛で動かせなかった。
「!!!」
「!!!」
『グヮッシッッッッ!!!!!!』
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!!!!!!!」
絹ヶ谷のシュートは、高木の右膝の間接真ん中に強烈な鈍い音と共に当たった。当たった球は高木の足元にポトリと落ちた。
高木は何も聞こえなかった。強烈な激痛の瞬間、直後に意識を失った。高木が意識不明になった直後、絹ヶ谷も疲労と激しい興奮、ストレスと激しいショックを受けて、その場で失神した。

病院の一室、ベッドの上に寝ていた高木は目を覚ました。死球を受けて1日経っていた。高木は死球のあとすぐさま病院に運び込まれ、緊急手術を受けていた。横には家内の弘美と息子の朋和の姿が見えた。
「智、おはよう。」
「ここは・・病院?」
「そう、デッドボールのあとすぐここに来て手術をしたんよ。」
「え、手術!?そんなことしたら野球が出来なくなる!」
高木は病院に居るので、やや押さえ気味に叫んだ。
「智、そのことやねんけど・・。」
いまいち弘美の表情が暗い。
「あなた、もう野球できひんねんて・・。」
「!!??」
高木の右足はは怪我の上に試合に出続けたため、筋は損傷し、骨膜は剥がれ、軟骨も磨り減っている状態だった。そのところに150km/hのシュートをくらい、筋は断裂、骨膜は剥がれ落ち、遊離骨も出来、亀裂骨折も起こしてしまったのだ。
「そ・・そんな・・。野球が・・出来へん・・。」
高木は愕然とした。6年目にしてようやく手に入れた1軍への切符。代打で活躍し、来年はポジション取りを目指していた。その矢先だった。
高木はその日のうちに1軍登録を抹消された。高木は言われなくとも分かっていた。それは事実上の解雇であった。しかし弘美の次の言葉で高木はそれ以上のショックを受けた。
「先生が言うには、・・・普通の生活が出来ないらしいの・・。」
高木はもう何も出来なかった。

阪神は8月、死のロードに突入した。代打の2枚看板の一人、高木を失ったのが大きかったのか、ロードは大きく負け越した。しかし本拠地に戻った途端ペースを取り戻した。そして9月15日。
《阪神タイガース!!18年ぶりに優勝を決めましたぁ!!》
阪神は18年ぶりの優勝を決め、美酒を味わった。阪神ファンは喜びをあらわにし、道頓堀ダイブも多数あった。
阪神の選手名を挙げていくとキリが無いほど出てくるだろう。
井川、ムーア、藪、伊良部、下柳、安藤、リガン、久保田、吉野、ウィリアムス、矢野、野口、アリアス、広澤、今岡、片岡、秀太、藤本、久慈、関本、金本、赤星、桧山、濱中、中村豊、早川・・・・。
しかし阪神ファンの誰もが2003年のV戦士にこの選手が居たことは忘れないだろう。

高木智

八木、高木の代打コンビで幾多もの試合を助けてきた。八木も代打1番手は高木が相応しいとはいたほどだ。
高木智は永遠にトラファンの心の中に存在する。

2004年10月某日、府内某所の病院。1人の男がリハビリを行っていた。その男の名は高木智。去年この病院に入院してきた。この男には過去がある。2003年の阪神のV戦士の一員だったのだ。テレビでは野球中継が放送されている。
《打ったー!サヨナラホームラン!阪神タイガース、2年連続日本一!》
「お、やりよったな、我が阪神。」
男は満面の笑みを浮かべていた。

高木智通算成績
実働年数6年、79試合、116打席、107打数、35安打、3割2分7厘1毛、9四死球、本塁打6本、打点32点、得点27点、盗塁3、失策2

~終わり~

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