第1部
時は2003年。低迷を続けてきた阪神タイガースは2002年に希望の光を見た。Aクラスまであと1歩の4位につけたのであった。そのトラ戦士の中にその男はいた。
高木智(たかぎさとる)二塁手。背番号23番。右投げ右打ち。28歳。能力的には平均だが、長打力には長けていた。その男が今月行われる春季キャンプで6年目にして初めて、1軍キャンプに行くことが出来た。
キャンプ初日、メディアは去年3割を打った今岡、盗塁王の赤星、新戦力の金本、伊良部、2年目を迎えた星野監督などにカメラを向けていた。それをよそに、高木は黙々と練習を続けていた。
キャンプ初日はたいした出来事も無く無事に終了した。ホテルに戻った高木は、2日目に向けて集中力を高めていた。なんといっても初めての1軍キャンプはなかなか精神を使うものだ。
2月2日、キャンプは2日目を迎えた。今日も報道陣は減らない。いや、むしろ増えてきている。理由はブルペンにあった。今日はポート、ウィリアムス両外国人が初めてその投球を披露するからである。メディアが両選手に釘付け状態の中、高木は同ポジションの今岡とランニングをしていた。この二人は歳がほぼ同じなので普段から仲がよかった。
今岡と高木は終始笑談をしながら練習をしていた。
高木はランニングと遠距離キャッチボールでこの日のメニューを終えた。
2月4日、キャンプ初めての休暇が来た。前日無理しすぎたか、はたまた初1軍キャンプで緊張したのか、右足の太ももが少々張った。しかし張りも1時間ほどで引き、大それたことにはならなかった。
張りが引いた後、早く1軍に慣れるために、ウェイトトレーニングを行った。自分の長打力により磨きをかける為に。
2月5日、宜野座キャンプも第2クールに突入した。激励に来た稲嶺沖縄県知事に挨拶をし、練習を始めた。この日は平下とキャッチボールをしていた。そこに、岡田守備・走塁コーチがやってきた。岡田コーチはこう言った。
「高木、お前は基本がよう出来とる。だがそこそこ長打力はあっても他に突出してるものがあらへん。それさえあれば1軍要因はグッと近づくんや。」岡田コーチは熱弁した。だが高木は長打力以外に自分の特技を探した。思わずそれが顔に出た。
「ま、そんな考えんと、ゆっくり見つけたらええんやぞ。キャンプ終わるまで20日あるからな。」それもそうなので今は練習を続けた。とりあえずこの日はメニューを終了した。
2月7日、走者を置いたシート打撃がスタートした。金澤、吉野、藤田、藤川といった面々が登板した。高木は彼らとは2軍でよく一緒だったのでどんな投手かは大体分かっていた。
最初に打席に入った今岡がカウント1-2のとき、走者役の秀太が二盗を決めた。どんどん練習が進み、高木の番がやってきた。高木の相手投手は吉野。25球20打数5安打だった。
2月10日、第3クール2日目。よく一緒に練習した今岡が怪我で休養。他にも金本や伊良部も休養した。だが、高木は休んでいられない。この日も練習を全てこなした。
翌2月11日は広島東洋カープと練習試合を行った。高木はベンチに入った。6対2で迎えた8回裏、高木は金澤の代打で登場した。
相手投手は玉木。初球、2球目と連続で見逃し3球目はボール。4球目をファールし、5球目を打ったが結果はショートゴロだった。
この試合は6対2で阪神が勝った。しかし高木は1打数無安打だった。
2月12日、阪神1軍候補勢は、宜野座キャンプを切り上げた。翌13日阪神1軍勢は二軍がキャンプを行っている、高知県安芸市へと場所を変えるのであった。
~続く~
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