華々しき序章
戦々恐々とはどんな意味だっただろうか。
いや、こんなときにこんな字面はあまりよくない。
戦いだって?それこそビクビクだ。
意味も分からない言葉を使うべきではないんだ。
そのたびに立ち止ってしまうから。思考が。からだが。
若い男は非常にいい感じのする家の前に男はいた。
古ぼけたアパート?そういうのは物語の初めに潜むステレオタイプだ。
とにかく3階建ての豪邸が男の家なのである。
その豪邸の入り口近くにある、家の大きさの割には小さすぎると見えるポストの前に男は立っていた。
その日は清々しいほどにどんよりと曇ったいい天気であった。
コトリのさえずりなんか聞こえやしない、薄暗く突き抜けた大空!無論突き抜けてはいない。
突き抜けているのはこの男の精神だった。
ポストの前に立っているのは新聞を取ったりライフラインの請求書を見てため息をついたりする何気ない日常のためではなかった。
そんなものはこの家のポストには入っていない。日頃は無能で不能な哀れなポストである。この男宛に手紙を寄越す者などいない。
しかし男はそのインポテンツなポストの中で一通の封筒がはやく開封しろとわめいているのを確かに認めた。
薄いが品のある封筒である。
ダルメシアン・K・ドクターペッパー殿
いや確かに俺の名だ!
男はもう夢中だった。間違いはなかった。
この封筒は今日はるばると俺に知らせにきたのだ。俺の運命を。
この突き抜ける曇天はこれを見届けるために用意されたものだったのだ。なんという素晴らしい演出だろう。
なあ、そうだろう?男は誰に向けてでもなく笑いかける。
そのときビュウっと風が吹いた。乾いた砂が巻き上げられる。砂があたってチクチクと肌に刺激が来る。
サンドシャワーのお見舞いだ。これもまたいい演出だ。すべてが俺を祝福している!
男は泣き出した。砂が目に入ったのである。
メシアは構わず封筒を手に取り、いよいよ開封しようとした。
力いっぱい、封筒の端をちぎる。切れ端は風に流され広大な砂漠へと飛んで行った。
片目を閉じて中を覗く。ああ、彼なりの粋な演出である!
桃色の紙が丁寧に折りたたまれている。引き抜いて紙を開く!
この灰色の世界になんてコントラストだ、まったく味気のない紙だ。
男にはまだそんなことを思う余裕があった。いや、そんなことでも考えてないと、今にも泣き出してしまいそうだった。
紙には文字が細々と踊っていた。最後のほうに押してある大きい判。どうやら冗談は通じなさそうである。
ざっとスキャニングする。さほど時間はかからない。
最後の文字までしかと見届けると男はいよいよ可笑しくなった。乾いた笑いが込み上げる。口の中はじゃりじゃりする。
何が演出だ。何が祝福だ。真実を打ち明けようじゃないか。そうだ、封筒の中身は俺に地獄行きを伝えるビーナスからの三行半!
男は過剰な演出にも疲れて、その場に座り込んでしまった。
そして静かに泣いた。どんよりと突き抜ける空の下で。
だだっ広い灰色の世界、その下の砂漠地帯にぽつんとたった大豪邸、その邸宅の住人にとどいた一通の手紙。
すなわちそれは、徴兵通告。
世界には2種類の人間がいる、というありがちな語り口はこの世界にもある。
頭のいい人間と頭の悪い人間だ。
頭のいい人間はさておいても、頭の悪い人間はいつも苦労ばかりするものだ。
たとえば劣悪な環境の中少ない賃金で長時間働かされる。そんなところだろう。
頭の悪い人間は否応なしに受け入れるしかないのだ。その環境を。その境遇を。
そして、たとえば国が戦争をやってたとしたら。
頭の悪い人間は否応なしにかりだされるしかないのだ。戦場に。地獄に。
上のほうで語られた男も、そんな頭の悪い人間のなかの一人である(彼の名誉のために頭のおかしいとはあえて言わないでおこう!)。
状況は、ここまでで大体把握していただけたと思う。
地獄行き、一名様ご案内。そんな高らかなコールとともに、この物語はいま、幕を開けた!
一章につづく
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